奇跡のメダイ教会と奇跡のメダイ
奇跡のメダイ教会の「奇跡のメダイ」は1830年聖母マリアが、この教会にご出現され、メダイを作るように指示されました。
やがて、このメダイを身につけている人に数々の奇跡が起こり、奇跡のメダイとして知られるようになりました。
まず、奇跡のメダイ教会を見てみましょう。
奇跡のメダイ教会(Chapelle Notre-Dame de la Médaille Miraculeuse)は、フランスのパリの7区にあります。
世界で初めてできた百貨店、ボンマルシェ(Le Bon Marché)を目印に、バック通り(rue du Bac)を入っていきますと、左手に見えてきます。
バック通りを入って100m弱位のところにありますが、教会の入口が、少しわかりにくいので見落とさないように行きましょう。
中に入ってまっすぐに進むと、聖堂があります。
世界中のカソリックの方々が、来られていて、色んな言語が聞こえてきます。
お祈りをしている方のご迷惑にならないようにして見学します。
聖堂正面の奥です。聖母マリアは、地球の上に立ち、手からは光線が出ているお姿です。
聖堂を出たところでは、聖母マリアご出現に関する像などを見ることができます。
以上が、奇跡のメダイ教会です。
次に、聖母マリアのご出現を見られた、聖カタリナ・リブレについてお話しましょう。
聖カタリナ・リブレは、1806年にフランス、ブルゴーニュの農家に生まれました。
生まれた時には、カタリナ・ゾエと名づけられました。ゾエは「いのち」の意味です。
カタリナは、11人の兄妹の9番目に生まれました。
カタリナの母親のマドレーヌは、カソリックの信仰が深く、毎日お祈りをし、子供たちに、キリスト教のお話しを聞かせてあげる人でした。
しかし、母のマドレーヌは46才で亡くなりました。カタリナが9歳の時でした。
カタリナにとって、母親を亡くした悲しみは、他の兄妹よりも強く、深い悲しみの中で、聖母マリアの愛だけを頼りにしていました。
母親のいなくなった家では、母に変わって、姉のマリールイーズが家のお世話をしていました。
しかし、カタリナが12歳の時に、マリールイーズが、愛徳姉妹修道会に入ったため、カタリナが家事をするようになりました。
その後、カタリナは何度か、父親に愛徳姉妹修道会に入りたいとお願いしましたが、父親は許してくれませんでした。
カタリナが22歳の頃には、複数の男性から求婚されましたが、彼女には結婚の意思はなく、召命になりたいとずっと思っていました。
(召命[しょうめい]とは、神の恵みによって神に呼び出されること)
その頃、5番目の兄のシャルルから、妻が亡くなったので、パリで経営しているレストランを、カタリナに手伝ってほしいと手紙がきました。
カタリナは22才の時、パリで暮らすことになりました。
その後、パリでの生活を通じ、やがて父の許しもあって、1830年4月21日に、パリの、リュ・ドゥ・バック通り140番地(140 rue du Bac)にある、愛徳姉妹会の修道院に入ることができました。カタリナが23才の時でした。
そして、カタリナは、愛徳修道会の本部の修練員として認められた際に、
修練長から「シスター・ラブレ」と呼ばれると言われました。
(それ以降は、カタリナ・ラブレになります)
【聖母マリア1回目のご出現】
修練員として過ごしていた日のことでした。
1830年7月18日の夜、床に着くときに、カタリナは「今夜は聖母マリアに会える」と思ったそうです。
そして23時半頃、カタリナは、子供の声で起こされました。
「シスター! シスター! シスター・ラブレ!」
目を覚ますと、5歳位の白い服を着た子供が、カタリナを聖母マリアの所へ連れて行くために来たと言いました。
この子供は、カタリナの守護の天使でした。
カタリナは、服を着替え、子供と共に廊下を通り広間へと歩いていきました。
みんながすでに寝ている夜中だというのに、広間は、こうこうと明かりで照らされていました。
カタリナは子供と共に聖堂に行きました。廊下を通り、聖堂の方に向かうと、そこも明かりが照らされていた。
しばらくすると、子供が「聖母マリアが来られます」と言い、カタリナは、やがて祭壇の階段を降りてくる聖母マリアを見ました。
椅子にお座りになる、聖母マリアの指輪からは、光の光線が出ていました。
カタリナは、聖母マリアの前にひざまづき、カタリナの手を、聖母マリアのお膝にかけ、しばらくの時を過ごしました。
聖母マリアは、カタリナに言いました。
「わが子よ、神はあなたに1つの使命を与えることを望んでいます。
あなたは苦しみを受けるでしょう。でも恐れてはいけません。
あなたが見聞きしたことを司祭に説明しなさい。
私があなたに告げること、あなたが祈りの中で理解することについて彼に説明しなさい」
そうして聖母マリアのお姿は静かに消えていきました。
守護の天使が、再びカタリナを寄宿舎まで案内しました。
カタリナは、この夜眠ることができませんでした。
【聖母マリアご出現2回目】
1回目のご出現から、4か月後の1830年11月27日 土曜日の夕方5時半頃、カタリナが聖堂にいると、絹のすれる音と共に、真っ白な衣服の聖母マリアが現れました。
手には、十字架が頂上に立つ、小さな金の珠を持っていました。
聖母マリアの両手の指には、3つの指輪がはめられていました。
そこからは、まぶしいほどの光線が発していました。
聖母マリアは、白い地球の上に立ち、その足の下では蛇を踏みつけていました。
聖母マリアは、カタリナに言いました。
「あなたが見ているこの球は、全世界、また一人の人間を表しています。
そしてこの宝石の光線は、私に願いを求める人々に対して、私が注ぐ恵みを表しています。
光線が発していない宝石は、霊魂が求めている事を忘れている恵みです」
やがて、聖母マリアの手にあった、金の珠が消えました。
次に、聖母マリアの両手が大きく広げられ、指にはめていた宝石から、足下の白い地球の上に光線が流れました。
次に、卵の形をした枠が、聖母マリアの周りを取り囲み、その枠の内側に
「原罪なくして宿り給いし聖マリア、御身に依り頼むわれらのために祈り給え」
と言う言葉が、金の文字で書かれていました。
聖母マリアは言いました。
「この姿に従って、メダイを作りなさい。
そのメダイを身に着ける人には、皆大きな恵みを受けるでしょう。
そのメダイは首にかけなければなりません。
信頼を持ってメダイを身につける人には恵みがたくさんあるでしょう」
そう言うと、聖母マリアは消えました。
その絵が反転すると、裏側には、真ん中に横棒がある、大きな M の文字があり、その上に十字架が立っていました。
Mの下には2つの心臓が。棘の冠がかかった、イエスの聖心と、剣で刺し貫かれた、聖母マリアの御心があり、全体を12の星が取り巻いていました。
その後、
1832年6月30日に、2000個のメダイが作られました。
この時このメダイは「無原罪の御宿りのメダイ」と言いました。
カタリナは、「今度はこれを広めなければなりません」と言い、メダイの普及につとめ、急速に広まりました。
司祭様は、「このメダイによってあらゆる病気を癒し、さまざまな人々の回心、戦争、事故などからの守護が起こった」と言い、このメダイは、その後「奇跡のメダイ」と呼ばれるようになりました。
(奇跡のメダイ 又は 不思議のメダイと呼ばれます)
カタリナは、聖母マリアのご出現のあとの40年以上、隠れた静かな生活を過ごし、 1876年12月31日、70才の時で亡くなりました。
そして、カタリナの死後71年後の1947年、 当時の教皇ピオ12世によって、カタリナは聖人の位になり、
聖カタリナ・リブレとなりました。
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